株式会社西頭代表 猪谷 幸祐のブログ
イノタニコースケの出会いを絆に

突然、電話が。


 先日、西頭の本部に、田村さんという方から、電話があったという

連絡がありました。

全く、検討もつかないまま、折り返して連絡してみると、

なんと、高校時代の友人でした。

ホームぺージを見て、電話してくれたようです。

しかも、彼は、会社が新宿にあり、この度、我々の運営する

語らい処「坐・和民」新宿野村ビル店に、宴会予約をしてくれている

とのことでした!

懐かしい友人から、突然、連絡もらえたことだけでも嬉しいのに、

自分の運営するお店を利用してくれることに、とても大きな感動を致しました。

田村、今度必ず会いましょう!

皆様のご縁で、私達が成り立っていることに、改めて深く感謝致します。

     
                                             以上




久々の友人と


 昨日、高校時代の友人と3人で、「坐・和民」新宿西口店にて、

食事をしました。


2人とも、高校時代のテニス部の仲間で、

昔から仲の良い2人だったので、とても楽しい時間となりましたが、

仕事の話などをしていると、それぞれの価値観が出来上がっているなっと

思ったのと、高校時代から知っているので、

どんな高校時代を過ごしたら、こういう大人になるのかと

改めて観察してしまいました(笑)。


全て一応仮称で書きますが、

大場氏、彼は、高校時代、テニス部の部長で生徒会長でもあり、

とても女性にも人気のあった学生だったのですが、

今では、まん丸な体型に落ち着き、一流企業に勤務しているのですが、

大きな欲もなく、こじんまり生きていくのが幸せと言う。

これを分析するに、彼は、人生の早い時期に、成功を収めてきたために、

逆に落ち着いた生活こそが、輝いた幸せな生活なのかな?と感じました。

ちなみに、彼は、私の身体を気遣ってばかりで、

見た目どおり父親のようでした(笑)。


もう1人は、石井君と言って、

お互いの実家の電話番号を覚え合っているほど仲が良いのですが、

彼はというと、高校時代から、普段は、私と同じように勉強が

全く出来ない学生でしたが、普段の会話から、

いつも地頭の良さを感じる一面を持つ人間でした。

大学受験も、当然私と同じように現役で落ちて浪人生となるはずだったのに、

なぜか、九州の有名私立大学に現役で受かってしまうという始末でした。

当時から、ハイリスクハイリターンというより、無難な道を選択し続けることが

できる友人でした。

今回、会社の転勤によって、東京に栄転してきたのですが、

会話の節々にも、よく考えているなと思う部分が、多々ありました。



2人の友人と会い、変わらぬ関係を確認するとともに、

学生時代の過ごし方は、その先の人生の価値観に

大きく影響を及ぼすのだなと感じました。


ちなみに、私はというと、学生時代に遊んでばかりだったので、

現在において、その反動で仕事に時間を費やすのかな?

と自分を分析してみました。


ま、ともかく、幸せの価値観というのは、人それぞれであり

答えは、自分しかないということを改めて再認識したのと、

いつでも、私を気遣ってくれるすばらしい仲間に

今も囲まれていることに、私自身、今現在という時間を

幸せに感じて生きることが出来ています。


尚、今回のブログは、フィクションかもしれません。

よって、登場人物が、実在するかは分かりません!

  
                                      以上



持つべきものは、友ですね。


 前回、前田隆造先生の還暦のお祝いを書こうとして、

高校時代の思い出に以降してしまったので、

今回こそ、その時の内容を記載したいと思います。


何故、テニス部に入ったかは、今度ゆっくり書きたいと思います。

多分、理由を書いたら、みなさん納得されるような動機です。それはまた今度。


今回は、部員11人のうち10人が集まるという一大イベントとなりました。

11人のうち、東京から3人も駆けつけるあたりが、先生の人徳だと改めて感じた一日でした。


感想は、とにかく楽しかったの一言です。

久しぶりに集まったにも関わらず、まるで毎日会っていたかのように、

みんな高校時代と変わらず、思い出話に耽る時間となりました。

久しぶりに、心のそこから笑いました。腹の底ではなく。心の底で。


高校のテニス部の仲間は、全員個性的だったんですが、

私が好きなのは、全員横一線の関係だということです。

全員が、全く気兼ねない関係。

高校生くらいまでの、人間関係では、珍しいと思います。

普通は、周りのことを考えなかったり、弱いものいじめ等が、若干あったりするのですが、

このメンバーには、当時から全く存在していなかった。多分。


何年たっても、過去の同じ話で盛り上がれる仲間に感謝感謝です。


40歳になったら、みんなで旅行でも行けたらいいなと思います。



                                                   以上


前田隆造先生と福岡中央高校の仲間達


 先日、福岡高校時代のテニス部の仲間達と


当時の顧問であった前田隆造先生の還暦定年退社のお祝いに


博多に行って参りました。


 

「テニス部?」と?が付く方もいらっしゃるかと思いますが、


当時の私は、スマートでテニスが似合う好青年、いや爽やか少年でした(笑)


 

テニス部には、1年生の2学期から入部したのですが、


私にとって掛け替えのないものとなりました。


 

中学まで、野球一筋であった私が、何故テニス部に入部したのかというと、


また本題からズレてしまう恐れがありますが、やっぱり少し書きたいと思います。



福岡中央高校という学校は、私の校区の中では2番目に偏差値が高く


偏差値60以上もあり、更に福岡市の中では、都心に位置し、


女子学生の比率が非常に高いという聖地に値するはずの高校でした(多分)。


私はというと、中学3年の10月の試験まで偏差値40台という成績でした。


11
月から毎日下痢しながら勉強し、やっとの思いで入学を決めたのでした。


この受験の物語は、いつか書かせて頂きたいと思います。



さて、何故テニス部に入ったかですが、

入学当時は、野球部を目指して門を叩いたのですが、


初日の集まりで、激しく悩んだ結果、野球を引退することにしてしまいました。


理由は、男子生徒が少ない中で、先輩との付き合いを嫌ったことと、


格好を気にしだして髪の毛を切りたくないことが理由でした。

 


その後、バレーボール部に入部しました。


理由は、今仕事でお世話になっている(株)グースの山浦君から、


「俺バスケ部入るから、お前も体育館の部活やろうよ!」と誘われたからで、

しぶしぶ入部を決めたのでした。

しかし、その山浦君は、1ヶ月後に帰宅部という名の部活に席を置くことになっていた。

 


そのバレー部は、
「先生が嫌いだから辞めます」と伝えて辞めることになる。


バレーボール自体には、自信があったのですが。


はっきり言って男らしくない、と思えたから。


部活の時は、直接何も言えないのに、授業になると、みんなの前で、


バレー部員を出しにして、笑いをとろうとするのである。


当時反抗期の私には、全く我慢が出来ませんでした。


その後、私も帰宅部への入部となってしまったのである。


季節は、夏休み前の蝉の鳴き声が、やけに耳に付く頃でした。


私は、ちょうどその頃出来た新しい彼女と毎日、帰宅部を楽しむ日々を送っていました。



 

今回も長くなるので、1度これで終わります。


ただの懐かしい話ですが、

全ての経験が現在の私を築いているのだと自分を分析しております。

 


これを機に、高校時代の思いでも書いていこうと思います。

 

次回も添付すると思いますが、先日の写真貼り付けます。


 


 

                                以上


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