株式会社西頭代表 猪谷 幸祐のブログ
イノタニコースケの出会いを絆に

前田隆造先生と福岡中央高校の仲間達


 先日、福岡高校時代のテニス部の仲間達と


当時の顧問であった前田隆造先生の還暦定年退社のお祝いに


博多に行って参りました。


 

「テニス部?」と?が付く方もいらっしゃるかと思いますが、


当時の私は、スマートでテニスが似合う好青年、いや爽やか少年でした(笑)


 

テニス部には、1年生の2学期から入部したのですが、


私にとって掛け替えのないものとなりました。


 

中学まで、野球一筋であった私が、何故テニス部に入部したのかというと、


また本題からズレてしまう恐れがありますが、やっぱり少し書きたいと思います。



福岡中央高校という学校は、私の校区の中では2番目に偏差値が高く


偏差値60以上もあり、更に福岡市の中では、都心に位置し、


女子学生の比率が非常に高いという聖地に値するはずの高校でした(多分)。


私はというと、中学3年の10月の試験まで偏差値40台という成績でした。


11
月から毎日下痢しながら勉強し、やっとの思いで入学を決めたのでした。


この受験の物語は、いつか書かせて頂きたいと思います。



さて、何故テニス部に入ったかですが、

入学当時は、野球部を目指して門を叩いたのですが、


初日の集まりで、激しく悩んだ結果、野球を引退することにしてしまいました。


理由は、男子生徒が少ない中で、先輩との付き合いを嫌ったことと、


格好を気にしだして髪の毛を切りたくないことが理由でした。

 


その後、バレーボール部に入部しました。


理由は、今仕事でお世話になっている(株)グースの山浦君から、


「俺バスケ部入るから、お前も体育館の部活やろうよ!」と誘われたからで、

しぶしぶ入部を決めたのでした。

しかし、その山浦君は、1ヶ月後に帰宅部という名の部活に席を置くことになっていた。

 


そのバレー部は、
「先生が嫌いだから辞めます」と伝えて辞めることになる。


バレーボール自体には、自信があったのですが。


はっきり言って男らしくない、と思えたから。


部活の時は、直接何も言えないのに、授業になると、みんなの前で、


バレー部員を出しにして、笑いをとろうとするのである。


当時反抗期の私には、全く我慢が出来ませんでした。


その後、私も帰宅部への入部となってしまったのである。


季節は、夏休み前の蝉の鳴き声が、やけに耳に付く頃でした。


私は、ちょうどその頃出来た新しい彼女と毎日、帰宅部を楽しむ日々を送っていました。



 

今回も長くなるので、1度これで終わります。


ただの懐かしい話ですが、

全ての経験が現在の私を築いているのだと自分を分析しております。

 


これを機に、高校時代の思いでも書いていこうと思います。

 

次回も添付すると思いますが、先日の写真貼り付けます。


 


 

                                以上


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  • 2019.07.12 Friday
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  • 12:42
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